2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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なんでも食べる
なんでも食べる
なんでも食べる
見たことないものを食べる
なんでも食べる
つくったことないものを食べる
懐かしい料理
誰かの味
見よう見まねでつくる
知ってる味にならなくても食べる
おいしくなくても食べる
なんでも食べる
空腹を満たすため食べる
なんでも食べる
明日働くため食べる
さあ、その歯で
世界を噛み砕き
喉を鳴らして
歴史を飲み込め
生きるために食べる
なんでも食べる
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料理や食卓にまつわる息苦しさの正体は、19世紀の終わりから20世紀の始めにできて、どんどん当たり前になっていった「お母さんが愛情こめて手作りしたごはんを家族そろって食べないといけない」という考え方にあるのではないか。その息苦しさから逃れるヒントを得るため、家庭以外で食事を作ったり、家族以外の人と一緒に食事したり、外食じゃない形で外で食事する場に行ってみることにした。
ある土曜日の夕方、大阪北部の豊中市の住宅街にある小さな長屋を訪れた。ここでは月一回「団欒(だんらん)こども食堂」が開かれている。ドアを開けると、玄関に入りきらないくらいの靴、靴、靴。手の平に載るようなサイズのものから、大人のサイズに近いものまで。中からは子どもの遊ぶにぎやかな声が聞こえる。
この日のメニューはニョッキ。小麦粉にゆでたジャガイモを練り込んだパスタの一種だ。入ってすぐの広間では、ボランティアの大人たちと子どもたちがいっしょにニョッキを作っている。「べたべたする~」といいながら悪戦苦闘している子、「フォークでこうやって形をつけて」とお母さんが横について、一緒に作っている4歳くらいの子もいる。
一般家庭のようなコンロと冷蔵庫と流し台のある台所では、ボランティアのスタッフが、フライドポテトを炒めたり、付け合わせを作ったりしている。白髪まじりの男性もいれば、同世代か少し上の年頃の女性、中国から留学生で来てそのまま日本で就職したという男性もいて、年齢も性別もバックグラウンドも様々だ。
大きな鍋ではぐらぐらとお湯が煮たっており、どんどんとニョッキがゆであがる。盛りつけをしたりソースをかけたり次から次に作業をしていると、あっという間に時間が経っていく。「太田さんも食べて!」と、ゆでたてのニョッキの入ったトレーを差し出された。ぷりぷりとした食感で、出来合いのものとは全然違う。
こんなに大勢で料理を作ったり食べたりするのなんて、いつ以来だろう。自分のうちではない台所も、人と一緒に一つの料理をたくさん作るのも久しぶりで新鮮だった。
ふだんこの場所は、平日は「団欒長屋」という保育園と学童保育として使われている。ここを立ち上げたのは渕上桃子さん。まっすぐな視線とハキハキ話す姿が印象的だ。
「うちはわたしが一人親で、豊中に地縁も血縁もないなか、一人で仕事と子育てをしないといけなかったんです。そんなときにいろんな世代が集まれる場があれば良いと思って、子どもを中心にいろんな世代がつながれる場にしたくて」と2013年に「団欒長屋」をスタート。子ども食堂を始めたのは2017年から。学童保育を利用していた池田織江さんの「子どもに、にぎやかな食卓で温かいものを食べてほしい」という思いにより始まったそうだ。
子ども食堂というと貧困支援の文脈で語られることが多いが、渕上さんは団欒子ども食堂を「たくさんの人と関わって生活力をつける場」だと捉えており、子どもは調理や準備、片付けを手伝うことで、自炊力や生活スキルを少しでも身につけられるようにしている。また、子ども食堂には「食育やしつけ」の効果もあるという。
「うちでは親は毎日礼儀作法や好き嫌いせず食べろと同じことを注意してしまいますが、ここで親ではない大人が、親が気づかないいいところに気づいたり、それをきっかけに親の言うことを聞いたりするときもあって助かっています。
苦手なものを食べられるようになった子や、家だとたくさん食べられない子がたくさん食べられることもあって、親もありがたいんです。いろんな人と触れ合うことで、いろんな価値観を知って、その中で傾聴とか挨拶とか世間話とかコミュニケーションを身につけてほしいです。」
家庭での食事には買い物から調理、片付けに加えて、要求されることが年々増えているように思う。
おいしさはもちろんのこと、旬の素材を使って、安く、たくさんの品数を、見た目よく作らなければいけないし、衛生や安全面も気をつけなければならない。食中毒以外にも添加物や残留農薬や放射能と気にしなければいけないことは増えていくばかりだ。
さらに子どもがいたら、しつけや食育も必要だ。正しい箸の持ち方で、背筋を伸ばして、肘をつかず、好き嫌いなく食べさせてといったマナーだけでなく、魚や野菜の旬、調理前の素材がどんな形をしていてどんなふうにできているか、それをどうやって料理するかといった知識を身につけることまで、家庭の役割になってきている。
給食があれば二度で済む日もあるが、食事は毎日三度のことだ。こんなにたくさんのことを、家庭だけに、家庭で食事の用意を担う数少ない人だけの肩に、全部乗せられるだろうか。
池田さんは、「シングルマザーは家庭にマンパワーがなく、家庭では親と子の最小限の人間関係になって、大人一人で生活を回すのが限界になってしまうんです。そこにしつけも求められたら、個人の努力の限界を感じます。」と言う。だからこそ、「ここだと楽しみながら自然と身につけることができるんです。子どもも親から何か言われたら反発を感じるけど、他人からだと言うことを聞くときもあります。大人だけでなく子ども同士の間でも、上の子が下の子の様子を見て刺激を受けることもあるから助かっているんです。」と、さまざまな人と触れ合えるこの場が役立っているようだ。
お二人の話を聞きながら、子ども食堂は子どもにとってだけでなく大人にとっても必要な場なのだと気づいた。
わたし自身、この取材をしていた頃、なんだか料理を作るのが苦痛になっていた。朝晩の食事と昼の弁当を、ありあわせのものと冷凍食品と作り慣れたレシピの繰り返しで乗り切っていた。たいした料理を作っているわけでも、子どもがいるわけでも、特別な食事が必要な家族がいるわけでもない自分が、こういうことを言うのがはばかられると思っていた。
だけど、わたしにだって少しずつ、毎日「限られた時間や予算で」「失敗せずに」「同じクオリティのものを」作り続けることのプレッシャーが積もっていたのだ。それに疲れて料理を楽しむ余裕がなくなっていた。
だから、家で食事の用意を担うすべての人にとって、こんなふうに、一日くらいでもその役割から降りられる日があると、どんなにいいだろうかと思ったのだった。
ときどきふっと思い出す食卓がある。
ココルームの「まかないごはん」だ。ココルームは詩人の上田假奈代さんが代表を務めるアートNPO「こえとことばとこころの部屋」で、現在は大阪の西成にあるかつて日雇い労働者のまちと知られた「あいりん地区」、通称「釜ヶ崎」でゲストハウスを運営している。2003年新今宮にあった娯楽施設フェスティバルゲートからスタートし、釜ヶ崎に移転。10年以上にわたって喫茶店、ゲストハウスと形態を変えながら、表現で食べていきたい若者たちやまちの人、元日雇い労働者たちと活動を続けている。
ココルームが始まって以来ずっとやっているのが「まかないごはん」だ。スタッフたちと一緒にご飯を食べれば、給料が少なくても生きていける。それに、仕事が忙しいと食事のことなんてどうでもよくなってしまうが、みんなで食べる、となったら、おろそかにできない。そして、スタッフだけでなくお客さんとも一緒にごはんを食べることにした。お客さんはお金を払うが、ときにはおしゃべりから企画が発生したり活動のヒントを得たり、皿洗いを手伝ってもらったりする。
まだ釜ヶ崎の商店街で喫茶店をしていた頃、ココルームの取材で遅くなって、そのまま「まかないごはん」を食べたことがある。喫茶店の一部が上がりかまちになっていて、そこに上田さん一家とスタッフと、一緒に取材に行った作家のアサダワタルさんと並んでそろって同じものを食べた。その頃はまだ一人暮らしだったから人と食事すること自体が久しぶりな上、ごはんにみそ汁、魚の煮付けといった普通の家庭料理を食べるのも久しぶりだった。
上田さん一家には、上田さんが「ちびちゃん」と呼んでいる娘さんがいる。ちびちゃんが中心の上田さんたちの食卓はまさに家族の団らんそのものだ。でも、そこにスタッフもいてミーティングが行なわれる。そんな場に自分が当たり前のように邪魔者でもなくお客さんでもなく、もちろん家族でもなく座っている。必要以上に話す必要もないけど、決してじゃまもの扱いもされていない。ただ出されたものを食べ食卓を囲んで一緒にいるのが不思議な感じがした。特にかまわれたわけでもなかったのに、それがとても心地よかった。
この心地よさは一体なんだったんだろう。
上田さんはこんなエピソードを教えてくれた。まだ喫茶店をしていたころ、よく来るおじさんがいた。まかないごはんの時間になっても帰らない。喫茶店に来るおじさんの中にはお金がなくて払えない人もいるので、上田さんは一言断る意味で、「ごはん、食べませんか?」と声をかけた。おじさんは「食べない」と答えた。上田さんたちは「わたしたちはいただきますね」とごはんを食べ始めた。そのおじさんが来る時には決まって「食べない」と答えるのに、そのやりとりを続けた。あるときそのおじさんに「ごはんに誘ってくれたのがうれしかった」と言われた。それを聞いて上田さんは「その人にとってはごはんに誘ってもらうことがなかなかないから、うれしかったのかもしれない」と思ったそうだ。
一緒に食べようと誘われるのがうれしいのは、安心して自分がここにいていいと思えるからだろう。その食卓に自分の席があることや、自分の茶碗や箸が用意されていることや、誰かの手でそれが作られ、よそわれるのはほっとすることだ。自分が大切にされていると実感できる。そういうごはんは元気が出る。「まかないごはん」はお金を払って食べるものでも、外食では味わえないそういう感覚を思い起こさせてくれるものだった。
いろんな食卓を訪ねてみたけれど、これからの新しい時代の食卓はどんな形になるのだろうか。
そろそろ、「お母さんが愛情こめて手作りしたごはんを家族そろって食べないといけない」という考え方をアップデートできないだろうか。少しずつ「お母さん」の部分は変わりつつあるけど、食事が家庭の基礎だという考えはあまり揺らいでないように思う。
毎日三食当たり前に食べているものも、食べ方も習慣も、世界と歴史の積み重ねの中で、今こういう形になったものだ。それに、世界にはいろんな台所があって、いろんな食べ方がある。うちで料理しない国や必ずしも家族そろって食べることを大切にしているわけではない国もあると聞く。食事をとりまく考え方も、食事の内容も仕方も、不変のものではなくて、時代や場所でそのときに応じて形を変えていくものだ。だからきっと食に関する常識だって、変化していくだろう。
お母さんじゃなくたって、料理は作れるし、そこに愛情も込められる。
家族じゃなくたって、一緒に食べることで愛情を感じることはできる。
家庭じゃなくても、愛情かけた栄養のあるおいしいごはんを食べられるし、しつけや食育も、料理についての知識や技術や経験が得られる。
そうやって、食事を用意する人が一人で戦っているような気持ちにならないよう、食べる人が誰かと比べてみじめな気持ちにならないよう、うちだけでなく外にも、自分のことを待ってくれていると思える食卓が、いろんな形で身近にあるようになればいい。
「食は人権」だからこそ、収入や教育にかかわらず、誰もが簡単に安価に手に入れられ、その技術や知識が身につけられるものであってほしい。
新しい時代の食卓では、それが当たり前になっていてほしい。
参考文献
ココルーム http://cocoroom.org/
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが販売中。
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