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執筆者の写真Saudade Books

詩のリレー連載 食べることは歌うこと #9(佐々琢哉)

更新日:2019年10月19日



「食」にかかわるさまざまな仕事をする人に、「食べること」をテーマに詩やエッセイを寄せてもらいます。


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食べることは、この星に生きる真実を、歌うこと


ひとは、食べなければ、生きていけない


他の動植物だって、そうだ

彼らは、種存続のため

栄養を確保するために、より適した能力を各自に発達させ、ここまで進化してきた


それなのに

どうしたことだろう

人間の進化のベクトルは、ある時から

まったくの見当はずれの方向へ、吹っ飛んでいってしまったようだ


切に願い、努力を重ね

ついに辿り着いた、農耕文化の極み

その結果の、食の飽和

その結果の、生活習慣病だ


これは

当の本人だけの問題ではないと、自覚しなければならない

この記憶は、遺伝子にプリントされ、後世に引き継がれていく


いや

もしかしたら

もう、繋がりを育んでいく能力を失い

この連鎖は、断ち切られてしまうかもしれない


だって、そうでしょう

わたしたち人間の偉業によって、

もうこの地球上から消滅してしまった

動物、植物たちのことを思えば


人間だって、この星に生きる、おなじ兄弟姉妹なのですから





ひとは、食べなければ、生きていけない


それならば

「食べ物」を選ぶことは

生き方を選択することと、同じことではないか


誰だって、健やかに日々を生きたいと願う

そのためには、健やかなる食生活が必要だとは、誰もが知っている


それなのに

どうしてだろう

そうは言っても、そうと解ってはいても

食の煩悩に、生命の本質が、打ち負かされてしまうのは


あなたの、その食への欲求は

あなたの内の、どこから来ているのだろうか


官能的な幻想からの欲求なのか

現実逃避の刹那的な忘却の手段なのか


真実の食事とは、


……


恐れ多くも、ぼくは、料理という行為を仕事とし

見ず知らずの、まったくの他人に、自分の作ったものを食してもらう機会がある


それは、誠に不思議なことで

自分の手がダイレクトに触れながら作ったものが

自分の目の前で、一直線に、その人の体の内に取り込まれていくのだから


それは、まったく、責任重大なことであり

そのことを思うと、怖気付いてしまう

それは、他者へダイレクトに作用する、神聖な仕事である

それ故に、ぼくは、何を差し出すのか、真剣に、考えなければいけない

その、考えるというベクトルの先の焦点が、どこを向いているのか

これは、料理を始める前に、ニュートラルな状態に立ち戻り、誠実に、考察しなければいけない


これは、商売であるから、ついつい、官能的なフレーバーを振りまいて

その客たちを、魅惑させ、虜にさせたいとの、競争意識が、こころの陰から顔を覗かせる

しかし、競争意識の結果からもたらされる、本質を外れた結果の、その先の結果は、あたりを見回せば溢れ返っていて、

その無味感は、自分を虜にさせるものではないと、いま一度、立ち止まる


ベクトルの先を見つめなければいけない



 ・



この食事によって、その人が、どんな状態になって欲しいのか

そのための、食材選びに、料理手段の選択をする


この食事は


舌先から脳天を直撃するように、官能的な刺激として舞い上がっていくものであってはならない

(あなたは、その結果の、思考が吹っ飛んでいく感覚、もっともっと食べたいという満腹感のたがが外れてしまった感覚を、味わったことはないだろうか)


この食事は


「あぁ、お腹いっぱい」と、物質的な重さ以上の重さをともなった、下に引っ張られていくものであってはならない

(あなたは、その結果の、心身の重さ、日中の眠さ、もやがかかった思考、翌日の寝起きの悪さ、を味わったことはないだろうか)


この食事は


細胞のレベルまで浸透していくものであって欲しいと、意識を介在させていく

官能的思考のレベルではなく、物質的な量ではなく、細胞レベルで「充たされて」欲しい


この星に育まれたその食材は、その生命のうちに、この星の情報を記憶し、

まるで、ロックされてしまった我らが体内の細胞の鍵穴に、その情報を差し込み、その扉を開いていく

「食」が「メディシン」であることの所以だ


それは、自然に存在しない情報を所有してしまった「食」が、「異物」であることの所以だ

どうか、不適切な食によって、自身を痛めつけないで欲しい

人類の悠久の進化によって書き込まれてきた、細胞の形状パターン

そこに存在しない、その「異物」の情報は、体内で、行き場を失う

体はどうにか、行き場の失ったその物質を、排出しようと努力する

体がなんとか見つけ出すことができた浄化の手段、その結果が、アレルギーや病気といった症状だ


正しい情報によって、開かれた細胞は、その情報の振動を受け取り、

その結果、この星の振動と共鳴する

この星で生きる、あるがままの状態に、立ち戻っていく


真実の食事の後には

軽やかさに溢れている

天にも地にも広がっている


……


ある食事によって、その先一週間もの間、幸福感に包まれていた経験がある

まさに、その食の振動が、それだけの間、体の内に鳴り響いていたのだろう





『それは、ある寺院で、施しの食を頂いた時のことだ』


旅先で出会った、ある青年は、語っていた

人生で最も充たされた食の記憶を


『その寺院は、世界の至る場所にあるのだが、どこの寺院で頂いても、変わらずに美味しいものであった』

『その理由は、そこで奉仕の精神によって料理している人々のこころが、ただ、ただ、料理をすることの喜びに満ち溢れていたからだ』

『聖なる沈黙のエプロンを身にまとった、人々のその意識は、100%、料理だけに注がれていた』


正確には、その青年は

最も「ピュア」な食事である、と表現していた


遠くの空を見つめながら話す、その青年の姿

その記憶の瞬間から、どれほどの時間が経っているのだろう

その食は、いまも彼に、恍惚の表情を与えている


その振動は、時空を超え、こちらにまで伝播し

「清らかさ」は、ぼくの内にも広がっていた







ひとは、食べなければ、生きていけない


それならば

「食べ方」を選ぶことは

自身の生き方を選択することと、同じことではないか


あなたが毎日抱えて生きている

あなたの体の内にある、その居室は、どんなであろうか

その部屋には、不必要なものが詰め込まれていないであろうか


あなたが、食事をするとき、その部屋いっぱいに「もの」を詰め込みすぎてはならない

消化しきれないものは、腐敗を起こすからだ

たしかな、余白を残すのだ


それは、まるで、

荘厳なる神殿に、一歩足を踏み込んだ時の、空間の壮麗さのごとく

その余白に、福音が響き渡り

その余白に、インスピレーションの源泉が沸き起こる


そして、精神は、聖なる空間の住人となる





ひとは、食べなければ、生きていけない


それ故に、


時に、「食べないこと」の反作用の力を用いることは絶大である

それは、体に、浄化の余白を与える

内臓器官の機能回復は、脳への直接の処方箋であり、

あなたの腸は、思考の明晰さと幸福感に繋がっている


太古から、賢人たちは、「断食」の効用を語る

ぜひ、あなたも、この甘美を味わって欲しい

満腹感では、得られぬ、圧倒的な、甘美を


(このご馳走は、すでにあなたの前に無償で差し出されているのですよ、食べなければよいだけですから)


その甘美の蜜は、あなたの内に、決定的な変化をもたらす

体内の変化は、あなた自身が投影しているこの外界に、唯一の変化をもたらす


……


友人として

親として

教育者として

政治家として

いち社会人として


わたしたちは、意識的であらねばならぬ

負の食事によって、負の状態をこの体に呼び込み、負の変化をこの世界にもたらさぬように


不健全なる思考の玄関先には、健全なる決断は、訪れてこない

どうか、もやのかかった思考を取り払い、明晰な生命の喜びからなる思考のもとに


友人として、助言をしてもらいたい

親として、自立を手助けしてもらいたい

教育者として、知識をわけてもらいたい

政治家として、国の決断をしてもらいたい


思考の健全さを保つことは、社会人たる、原初の、我々ひとりひとりが全うすべき責任ではないか





食べることは、この星に生きる真実を、歌うこと





付記


清くあられるよう

日々を、生きていきたいです


最後に、この詩を書くことを喚起してくれた、ある言葉を紹介させてください

スリランカの瞑想施設の食堂に、添えてあった言葉です


(邦訳は、わたくしの意訳です)





〈〈 REFLECTIONS ON FOOD 〉〉


(意訳)





懸命な意識をもって、この施しの食に思いを馳せます





この食事は、わたしにとって、


・ 自身の欲を、満たすものでなく

・ 他者によく見せるための肉体を、育むためのものでなく

・ また、同様に、自尊心を育む美しさを、育てるものではありません


ただ、ただ、それは、


この神聖なる生を満たしていくために、


私に与えられた健やかさを、


維持し、養い、保持していくための食事です





この様な食に対する精神の在り方によって、


わたしは必要以上にお腹を満たさずとも、


食に対する欲求・飢えを鎮めるに至るでしょう





それ故に、


非難・罪の気持ちから解放され、


やすらぎとともに、


この命を紡いでいくことが可能となるでしょう




プロフィール


佐々琢哉(ささ・たくや) 1979年、東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざまなことを学ぶ。 2013年より、高知県四万十川のほとり、だんだん畑の上に建つ古民家に移住し、より土地に根ざした自給自足を志す暮らしをはじめる。全国各地で不定期にローフードレストラン「TABI食堂」 や音楽会を開催。TABIは、中米を1年間一緒に旅した馬の名前。 2016年にローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくやサラダの本』(エムエム・ブックス)を刊行。



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