2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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なんでも食べる
なんでも食べる
なんでも食べる
見たことないものを食べる
なんでも食べる
つくったことないものを食べる
懐かしい料理
誰かの味
見よう見まねでつくる
知ってる味にならなくても食べる
おいしくなくても食べる
なんでも食べる
空腹を満たすため食べる
なんでも食べる
明日働くため食べる
さあ、その歯で
世界を噛み砕き
喉を鳴らして
歴史を飲み込め
生きるために食べる
なんでも食べる
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カナダで知った food security (フードセキュリティ)という言葉から、バンクーバーで食に関する活動や団体が多いのは、移民社会である上に、「食べることは人権に関わることだ」という考えが根本にあるからだと気づいた。その頃日本からのニュースで、子ども食堂のニュースをよく聞くようになった。
子ども食堂は、地域の大人や団体が子どもに無料や安価で食事を提供する取り組みのことだ。子ども食堂の活動を支援する NPO 法人むすびえの調査によると、2019年4月時点で3718か所あるという。それまでも細々と各地でこのような活動は行なわれていたが、子ども食堂という名称は2012年に東京の大田区にある「気まぐれ八百屋 だんだん」が使い始めたのが最初と言われている。子ども食堂のニュースをよく聞くようになった2015年〜16年にかけては、2014年に「17歳以下の子どものうちおよそ6人に1人が貧困状態にある」という厚生労働省のデータが発表されたこともあって、子ども食堂が急増し始めた時期だった。ニュースの多くは、貧困支援の文脈のものが多かったけど、わたしは家族以外の人と食事を作ったりともにしたりするという面に引きつけられていた。
「料理をしているの?」いつからかこう聞かれるのが苦手になった。大学生になって一人暮らしを始めた頃、聞いてくるのはバイト先のお客さんや先輩で、相手は親元を離れて暮らすのを心配するような口調だった。だけど、20代の終わりに最初の結婚をしてからはその様相は変わった。聞いてくるのは職場の上司や知人で、だいたいそのあとに「おかずは何品くらい作ってるの」とか「弁当は」なんて言葉が続くのだ。そのたびに、自分の主婦としての能力をジャッジされているかのような気持ちになった。結婚しただけで、世間からは家のことを取り仕切っている「主婦」として見られ、それに合致していないと「できてない」と判断されるような扱いにわだかまりを感じた。その一方で、自分が主婦としての能力を証明できなければ居所がないような気がして、やっきになって毎食手作りで一汁三菜用意しようとしたり、食費を月2万くらいに収めようとしたりして、自分から主婦という枠に収まりにいくようなことをしていた。自分が姑になって自分に小言を言っているみたいだった。
今の夫と結婚してすぐカナダに行った。離婚から数年経っていたけど、わたしの中にまだ巣くっていた姑がしゃしゃり出てきた。今の夫は料理ができないが食事にはほとんど頓着のない人で、出されたものならたいてい喜んで食べる。しかしわたしは頼まれてもいないのに、引越当初はせっせと毎日のように料理にせいをだした。あるとき、結構時間をかけて作った料理を食べてくれなかったことがあって、けんかになった。英語もわからず居場所もなくて、料理で自分の存在意義を示そうとしていたようなわたしを見透かしたように、夫は「こういうときは成果がすぐに出ないからといって、簡単に達成感が得られるようなことをしてしまいがちだけど、そればかり見ていたら、本当に目指すところを見失ってしまう」というようなことを言った。理系の研究をしている夫の、こつこつと実験を積み重ねて成果を上げてきた人らしい諭すようなものの言い方に感じるところがあり、一気につきものが落ちたのか、それからはそこまで食事に力を入れなくなった。
それに、よくよく考えてみるとカナダでは、わたしに「料理をしているの?」なんて聞いてくる人なんていなかった。そもそも女性が料理をするという前提ではない上、日々の食事は簡便だ。日本だとご飯とみそ汁とおかずで一汁三菜が基準になって、その中で評価がされやすい。けどカナダでは、いろんな国の人がいて、家によって食べるものがバラバラなので、人の家の食事スタイルにそれほど関心がないようだった。
試しに周りにいる人たちに「料理をしているの?」と聞いてみたら、答えはいろいろだった。コミュニティセンターの英語教室で知り合った韓国や中国の女性たちは平気で「わたしは料理が嫌い」と言う。しばらくして勤め始めた八百屋のアルバイトでは、同僚の台湾人のジュリーさんは「わたしのハズバンドの方が上手」と言って職場で夫の作った弁当を広げる一方、ベトナム人のポンさんは「ワイフは作らない」からと、自分が作った弁当を広げていた。中華系のリントンさんは「僕は料理が趣味」と言って、しょっちゅう自分で作った手作りクッキーやバナナブレッドをふるまってくれた。日本の情報を交換する掲示板で知り合った香港からの移民のケンさんは、日本料理が好きで自分でも作れるようになりたいと、教えてくれる人をさがしていた。日本では「料理」は女にとって義務だったけど、カナダでは「趣味」のようなものだった。
また、盛りつけが苦手で、インスタ映えしないわたしの弁当でさえ、カナダ人にとっては驚異の代物だったようだ。夫が職場で弁当を広げていると、サラダとかクラッカーとか果物で昼食を済ませるカナダの人には、小さな箱にいろんなおかずがつめこまれた日本スタイルの弁当箱は珍しかったようで、「お前のワイフは何時間かけてこのベントーボックスを作ったんだ!」と驚かれていた。そういう体験を経てカナダにいる間にわたしの中の姑はだんだん縮こまっていった。
あの姑のようなものを「役割圧」といううまい言葉で呼んだ人がいる。京都大学で農業史を研究している藤原辰史さんだ。カナダに行く前に、別の仕事で藤原さんにインタビューしたことがある。そのときに、日本では30品目使ってとか、温かいものを出さないといけないとか、これくらいやって当たり前というような食事に関するハードルが高くて、それが女の人の役割のようになっているという話をしていた。その最たるものが、「お母さんが愛情こめて手作りしたごはんを家族そろって食べないといけない」というような考え方だ。特に戦争中は、家庭が強い兵士を作り出す場としてみなされ、女性が食事で果す役割が大きいものとされていった。
しかし、そもそも料理以外の「家族そろって」の部分だって、比較的新しい時代に作られたものだ。わたしの祖父母は戦前の農村出身で、子どもの頃は箱膳で食事をとっていた。箱膳というのは、箱の中に茶碗や皿や箸が一式入っていて、食べるときはふたを裏返してその上に食器を載せて机のようにして使う。食べ終わったら銘々がお湯やお茶で軽くゆすいで箱にしまう。食事の際には盛りつけの順番や座る順番が決められ、食事中は会話しないで黙って集中して食べる。食事は上下の序列のある場で、楽しみというよりかは補給のようなものだ。ちゃぶ台で家族団らんするようになったのは、大正時代以降で、都市に住む核家族の給与生活者たちの間から広まったという。家庭はもはや生産の場ではなくなり、会社で働いた体を休める休息の場であり、稼いだお金を消費する場に変化した。食卓を囲んだ家族団らんというのは、そういう比較的新しい時代の産物だそうだ。
わたしの両親は戦後生まれでもう箱膳なんか使わなかった。ちゃぶ台の時代を通り越して、洋風のテーブルでごはんを食べる世代だ。台所でわたしや両親がおしゃべりしながらのんびり食べていると、早く片付けたい祖母に「そんなのんびり食べていたら、兵隊さんに行ったら殴られる」とせかされた。徴兵制なんてなくなった1980〜90年代になってさえも、祖母は口癖のごとくにそう言った。昭和2年生まれの祖母が受けた教育はそういう時代のものだった。大正生まれの祖父もほとんど食べ物の好みは言わないで、食事中はほとんど口をきかないで黙って食べた。そういう2つの時代の価値観がぶつかりあう食卓は、どちらのルールに従えばいいのかわからなくなって、なんだか居心地が悪かった。
知らず知らずのうちに積み重なっていた家族団らんに対する苦手意識や、料理にたいするわだかまりがあったせいか、子ども食堂の話を聞いたときに、家族以外と食事をとることや家庭以外に食事を用意する場があることに、風が通る感じがした。
家庭以外で食事を作ったり、家族以外の人と一緒に食事したり、外食じゃない形で外で食事するというのはどういう感じか知りたくて、日本に帰ってからいくつかそういう場を訪ねてみることにした。
参考文献
箱膳やちゃぶ台については、『日本生活史辞典』(吉川弘文館、2016)などを参考にした。
子ども食堂については、以下のサイトのほか、『子どもの貧困対策ハンドブック』(かもがわ出版、2016)『子どもと貧困』(朝日新聞社、2016)などを参考にした。
NPO法人全国子ども食堂支援センターむすびえ
湯浅誠「名づけ親が言う 「こども食堂」は「こどもの食堂」ではない」(2016/7/24)https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20160724-00060184/
藤原辰史さんのインタビューについては、ミシマガジン「本屋さんと私」「第130回 何よりも嫌なのは、自分の言葉がコントロールされること(藤原辰史さん編)」(2014年11月)に掲載されていたが、現在は記事が削除されており、読むことはできない。
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが販売中。
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