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執筆者の写真Saudade Books

詩の連載 シュテファン・バチウへの手紙 #1(阪本佳郎)

更新日:2019年11月14日



ルーマニア出身の亡命詩人シュテファン・バチウ(1918–1993)の作品と人生を紹介する特集です。


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ルーマニア・ブラショフ


あなたは何度くぐったことでしょう

トゥンパ山の麓にかかる、あの石でできた幾重もの虹を

あの古き街では、そうすることで旅に出る

数多ある石の回廊、あなたたちの街の言葉で親しまれた言葉、ガング

そうしてあの大きなシュケイ門を

虹を仰ぐようにしてくぐることで、人は言葉を手にする



あなたは幼くしてひどく眼を患った

国で最も著名なドイツ文学者と、

ウィーンより招聘された王家御用達のエンジニアの娘との間に

生まれたあなたを迎えたのは

ちょうどあのトゥンパを見上げるほどに聳え立つ書物の山だったのに。

ど近眼で瓶底のように分厚いメガネをかけたあなたは、

幼き頃のあだ名を自転車だとか言われもしたけれど、

代わりにそれらの書物を馬車馬のように貪ったのだった



幼少期のあなたは名前に取り憑かれていた

名前は宇宙を秘めていた その人の眼差しも、性質も、運命も、

名前にこそ込められていた

あなたは名前に引き寄せられ、名前を集めることに熱中した

幼年期からはじめた詩人たちのオートグラフのコレクションには、

エリアーデ、チオラン、イヨネスコ、コンスタンティン・ノイカ、ルチアン・ブラガ

そうした星々の名前が、ところ狭しと並んでいる


詩を書き、人に会う 詩を書いては、人を訪ねる

出会った人に書いてもらうためのサイン・ノートを携えて

各都市を回る、どこか風変わりな思春期

それらの名前は、

幼きあなたの可能性へ瞳をかざし言葉を与えた人々が

自らの魂の肉片を与えた徴、

発芽するのを待つタネであり、

あなたはそれらの記されたノートを大切に脇にしまって街を歩いた

想いを注がれた言葉と名前の束は、何よりもあなたを繊細にし、強くもした

言葉がそこにある そのことだけで放つ魔力をあなたはすでに知っていた



10歳の時には大方のものを読めるようになっていたあなたは

すでに世界は普通の眼で見えるようなものではなくて、

近くでも、遠くでもない、どこか別の距たり、あのガングを越えて、

あのトゥンパ山を越えて、どこか遠く、

あの神秘に満ちた大草原に、果てなくうねる丘陵に、

あの砂漠に、あの海に、火山に、かかる虹の世界を見ているようなものだった


  若き詩人の詩

  白昼に野を歩む心地よさよ、ゆっくりと歌え、

  もはやその音楽も聴こえぬほどに、

  草々が生い茂れば、さぁ、林檎を食むように、命を噛みしめよ

  濡れた樹々の合間に伸びる、なだらかな小径を歩けば、

  おとぎ話と髪の毛を彷徨う手先に私は夢を見る


  背後の優麗な山々をショールのように肩口に羽織って、

  首には、地平線という繊細な生地をスカーフにして結び、

  ゲルマン人の民謡を歌え、韻を踏め、そして数えよう

  涸れた井戸を、その落胆を、渇きを


  パックリと開いた傷口を玉蜀黍粥で縫い合わせ

  天使たちの温い生唾に湿ったおち葉を掻き分けて

  その狭く小さな溝を、一歩一歩丹念に四肢をついて、進んでいくのだ

  魂が、ハナミズキ、とおまえに語りかけた時にこそ、笑うがいい


  夜になれば、山脈の泰然たる流れの掌に溶け込んで

  その髪を愛撫されつつ、眠れ、

  頭を天底に預け、靴底を天頂に放りだして

  そうした時に詩はおまえの頭から噴き出してくる


カルパチアにはるか広がる森や丘を衣服のように纏ったあなたの詩は、

わずか17歳で、国を代表する詩人に与えられる賞を受ける栄誉をもたらした



ブラショフ、おもいかえすのは秋、栗の葉が落ちて街路をしきつめ

トゥンパも、そこかしこの丘も冬の白さへと消えゆく

その前の、最後の黄金の色づきに染まる季節

齢無き死者たちこそが、森からこの街へ古くから吹く永遠の風を知っていた



  トゥンパから吹き下ろす秋風が

  鐘を鳴らし、スファト広場に響き渡る

  すると死者たちが、街をうろつき出して

  ブラショフはたちまち解放区となる



参考文献


阪本佳郎「詩人シュテファン・バチウと MELE – International Poetry Letter」



プロフィール


阪本佳郎(さかもと・よしろう) 1984年、大阪生まれ。詩人シュテファン・バチウの足跡を追って、ルーマニアからスイス、ハワイへと旅を続ける。詩人の生誕百周年に捧げるために、海と大陸を越え詩人や作家、芸術家たちより作品を募った詩誌 MELE-ARCHIPELAGO を刊行。



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