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執筆者の写真Saudade Books

離陸と着陸のあいだで 旅本読書記録 #5(神田桂一)

更新日:2019年10月19日





井上章一『つくられた桂離宮神話』

好きな評論家に井上章一がいる。彼は建築史家だが、最近では『京都ぎらい』が売れたことで、京都に関する評論家として一般的には知られているかもしれない。


僕が井上を初めて知ったのは、関西ローカルのワイドショー番組のコメンテーターとしてだ。よくしゃべるおじさんとして初めて知った。僕は関西育ちなので、彼をテレビでよく見た。まさか重厚な著作を何冊もモノしているとは、つゆ知らずに。


そんな僕が初めて読んだ井上章一の著作は『作られた桂離宮神話』(講談社学芸文庫)である。建築史の論文にも関わらず平易で読みやすく、にもかかわらず、ものすごく面白い。気がつけば一気に読んでいた。


ある日、井上は、日本美の粋と呼ばれる桂離宮を見に行き、ちっとも感動できなかった自分の審美眼のなさを恥じ、それでは、なぜ自分は桂離宮を評価できなかったのかを問う。桂離宮の神格化の歴史をたどると、そこには、外圧や、人的な作為、様々な要因が絡み合っていることを発見する。当時台頭してきた、モダニズム建築を盛り上げるために、日本建築のなかでも、比較的、簡素でモダニズム建築に似た桂離宮を利用しようとする意図があったのである。そこに、価値観の人為的形成を見て取る。


ようは、価値観など絶対的ではなく、ある時代の人が作るものだということだ。井上章一のこのテーマは一貫していて『法隆寺への精神史』、『パンツが見える』や『美人論』なども同様だったかと思う。


旅をすると、同じような発見をすることがしばしばある。旅に出ることで、違った考え方や価値観をインストールすることが出来るために、帰ってきてから、以前と同じ景色を見ても、別の点と点がつながり、見え方が違ってくるのだ。その結果、人の動きに敏感になる。例えば、身近な例をあげると、人間関係のなかで「あの人は、今、こういうふうに物事をもっていきたいからこんな発言をしているんだな」といったようなことがわかるようになる。大きな例をあげれば、国際政治の舞台での外交的な交渉や思惑がある程度わかるようになる。


井上章一は、資料を使って、目に見えない人間の意図を暴き出したが、旅によって同じことができる。旅は、知の技法としてもありうるのだ。


社会を作っているのは、すべて人間である。そして人間の感情でものごとは動く。それがわかるようになってから、社会のことがなんとなくわかるようになってきた。そうやって世の中を見ていくと、人間が作っている社会に面白さを感じるし、ノンフィクションが人の営みに焦点を当てるのも、至極納得の行く行為だと思ったりする。



プロフィール


神田桂一(かんだ・けいいち)ライター、編集者。1978年、大阪生まれ。東京・高円寺在住。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(菊池良との共著、宝島社)。ウェブメディア『DANRO』で「青春発墓場行き。」を連載中。現在、初の単著を執筆中です。


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