高知県の四万十山暮らし、ときどき旅。野の中で素朴で質素な営みを願う日々を詩とエッセイでつづります。
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巡礼となりて
その道は、我がこころの内から始まるものだった
こころの声を聞いたから
その道は、外へ、外へと、拡散していくものだった
好奇心という旅の先導者に出会ったのだ
巡り、巡り、
辿り着いた、その景色
その道は、収縮し、我が身の内へと帰っていくものだった
ついに、真実と出会う場所を見つけのだ
あぁ、
いま、ここが、聖地であることを知る
そして、
日々の営みは、喜びとなり、この星の創造となる
○
百と連なった鯉のぼりが、四万十川の空高くに舞っている
鯉のぼりが昇る季節にここに越してきたぼくは、その鯉のぼりを見るたびに
「あぁ、ここに来てから、また一年が過ぎたのか」と思うのだ
今年は7回目の鯉のぼりを見た
丸6年の時がここで過ぎたのだ
この6年の、この土地の軌跡を綴る
◯
石
見放された畑を掘れば、石がごろごろと
ここにこれから野菜の種を蒔きたいものだから、石をひとつひとつ取り除く
トタンバケツに小石を投げいれる
カコン、カコンと乾いた音が、バケツの底から木霊する
かがみっぱなしの腰を伸ばしてエンヤッと立ち上がれば、手には小石の入ったバケツがずしり
「さて、この石たちの行き所は?」
とりあえず邪魔にならぬ畑の脇に、ザーっとバケツを空にして、また先ほどの畝に戻り、屈み込む
「また、石だ」、「ほれ、また石だ」
憎き、石
尽きることのない、石、石、石
石垣から崩れたのだろう、よっぽど大きな石が、畝起こしの行き先に立ちふさがっていた
ヨイショと立ち上がらせて、畝の一番端っこまでゴロリン・ゴロリンと転がしていき、そこに直立させた
近くに手ごろな石があったので、その大きな石の上に重ねて置いてみた
そしたら、その様子はなんだか猿みたいで、楽しくなってきて、
「あ、いいこと思いついたぞ!」
と、先ほど積み上げた小石の山に立ち戻り
再び、バケツ一杯に小石を詰め直し、直立した猿石の周りに敷き詰めた
そしたら、そこは道祖神のような出で立ちになって、カタバミの小さな紫の花が一輪光っていた
気づけば、石を探すのが楽しくなっていた
畝を起こすのか、石を探しているのか、どちらだろう
石を掘り起こせば、嬉しく、道祖神の周りに敷き詰める
刈り取るばかりであった下草のちいさな花々は、凛として風にそよいでいる
憎き石は、ありがたき石に変わり、
道祖神のおかげで、石の集めどころも決まって、仕事がはかどった
いまでは、石が足りない
石ひとつ見つければ、畝がきれいになり、道祖神の周りに石ひとつ重ねて、これぞ一石二鳥
ひとつの動きで、複数の効果を生み出す
野良デザイン、はじまりました
石 その2
石に注目しだすと、丸まった石、鋭利な石と大きく分けて2種類ある
「俺の小さな頃は、学校から帰って来たらひたすらに河原から石を背中に背負って、石垣を積んだものだぞ」
と、隣の大工の棟梁の言葉を思い出し、
見事に積まれた石垣を見てみれば、ずしりと重く丸みがかったものだった
その丸みが、川石だと語っている
「おかげで俺の背は縮んだままだ」との棟梁の言葉が、今では笑えずに、ずしりと重い
田畑を作るのに削られた山肌をみれば、鋭利な石たちが突き出している
黄土色したその石は、もろく、鮮やかに割れる
山石はこんなにもろいものだから、わざわざ河原から石を運んだのか
石垣に積まれた、その石の数や、その大きさや
先人たちの途方も無い労力に、頭が下がる
眼下に広がる四万十川の川辺から
段々畑に連なるこの石垣は繋がりを持っている
同じ石だから
調和のとれた景色
先人たちの必然性たる野良デザインだ
石 その3
石の選別へ
畑には、畝ができたことによって通路がうまれた
畝をつくることは、通路をつくることだったのか
通路には、持て余していた小石を並べた
これで、雨の日でも踏みしめても大丈夫
雑草抑えになることも期待している
同じサイズの石を並べることは、見た目も美しや
一石二鳥、三鳥、四鳥……
雨樋のない納屋の屋根の軒下にも小石を敷き詰めた
土が飛び跳ねないように
・
持て余して、とりあえずと脇に追いやっていた素材たちの有意義な行き場を見つけられるのは、なんとも嬉しいことだ
適材適所の美しさを、この野山に生み出したい
・
とりあえずの動きがなくなり、ひとつの動きで、たくさんの意味を持つ
動きの美しさを、この日常に生み出したい
・
山石は鋭利に割れるからなのだろう、平面を有している
その面を利用して、立ち上がった畝の縁に土抑えとして積み重ねた
先人のそれと比べたら、随分と小さくはあるが、石垣である
こちらも、この山から出てきた石で作った、ここの景色に調和したものだ
大きな丸みのある石は貴重である
それは、わざわざ川底から先人たちが持ってきたものであるから
そんな石たちが石垣から崩れ落ちているのを見つければ、立ち上がらせて、
畑にもう一つの道祖神をつくる
石が一つ立つことで、その場の空間がピシリと締まるのは、誠に不思議で、
単なる石の、秘めた力を知る
それゆえに、古えの人々は、巨石を集わせたのであろうか……
◯
谷
枝
家の裏の枯れた谷の沢を辿り、登っていくと、ちょろちょろと水が湧いていた
今度は、水を辿って、沢を下っていくと、枯れ枝や落ち葉で水がせき止められていた
沢に詰まった枝を、ずんずんと取り払い、掃除した
水はチョロリ、チョロリと、重力のままに、その浸透域を広げた
とりあえず、と横によけて置いていた枝は、随分と大きな山となっていた
「さて、この枝たちの行き所は?」
「枝を見つけたらね、立木の根と根の間に水平に渡して、山の高低の軸に対して直角になるように置いておくんだよ」
「そしたらね、落ち葉や土が流れ落ちてくるのをせき止めてくれるから」
ニュージーランドのファームでお喋りした会話が思い出される
あの時はなんとなくぼんやりと聞いていただけだったが、
いまではその意味がよく分かる、沢に詰まった落ち葉たちがその理由を語っている
行き場所が決まれば、仕事は早いものだ
山の斜面を、長枝を担ぎ、天狗のごとき飛び跳ねる
明晰な思考のもと、体をリズムよく動かしていると、頭と体の回路が開いて、ひらめきが起こる
「あ、いいこと思いついたぞ!」
の瞬間がやってくる
沢をまたいで倒れたものの、まだ根っこが地面に繋がっていて動かせない大木をどうしたものかとの答えに、
沢につっかえ水をせき止めていた枝や、山に落ちている枯れ枝を集めて、「水門」をつくった
この水門をくぐるとき、沢の源流に向かうその気持ちは、静謐なものとなる
それゆえに、古えの人々は、鳥居を建てたのであろか……
この水門は、枯れ枝を見つけることの喜びを、与えてくれている
腐葉土
沢につっかえ、溜まった枝の下には、見事な腐葉土が堆積していた
スコップで掬いだし、バケツに入れて、畑に運んだ
バケツ一杯、沢は綺麗になり、畑は肥えていく
バケツ一杯、沢は綺麗になり、畑は肥えていく
バケツ一杯、沢は綺麗になり、畑は肥えていく
そして、水が流れた
一筋の水の流れが生まれた
ここの谷に水が流れたのは、いつぶりのことであろうか
チョロチョロと静かではあるが、この土地に水の流れが戻ってきた
雨
その日から、雨が降るのが待ち遠しくなった
谷の水は、ぼくにとって、雨を待ち焦がれる存在へと変えたのだ
・
野山が整えられるにしたがって、
自分自身とそこにある現象との関係性も、
デザインし直されていくようであった
・
一時の雨が降った
数日の間を挟み、沢に水がどっと流れた
その時間差は、雨水が地中を旅した行程に想いを寄せるための余白であった
その流れは、まるで自身の腸内を洗浄したかのような爽快感であった
いまや、ぼくとこの土地は繋がっている
手に水を掬った
その流れは、ぼくの体の中へと続いていった
◯
草
草は、困ったことに、へこたれることなく、幾度も幾度も生えてくる
家の周りや畑、裏山、ぐるりと刈って「ふぅ、すっきり爽快」と思ったのも束の間、また生えてくる
田舎暮らしに草刈りはつきもので、近所の迷惑にならぬようにと、
一時、下草の花々を愛でたあとに、ざくりと刈り上げる
それが、いまのぼくの、草刈りのスタンスだ
刈り積もった下草は、畝に被せておいておく
畝の土が乾燥しないように、草抑えに、いわゆるマルチというものだ
この草マルチは、いずれ腐敗し、肥えた土になるという
ひとつの動きで、草刈り、マルチ、土作り
土になるというけれど、
ぼくの時間の流れにくらべて、微生物の営みの時間はあまりにゆっくりなものだから、
その実感は不確かなものだけど
草刈りを、毎年、毎年と続け、あることに気づいた
そこに生えている下草たちの顔ぶれが、変わってきたのである
ここに越してきた6年前は、なんだかトゲトゲした子たちが多かった
海外ではそんな草たちを“パイオニア・プランツ”と呼んでいた、不毛の地に一番はじめに生える開拓者たる植物だ
いまでは、丸みがかって柔らかな草花が生えている
彼らの足元の土は黒くフカフカのベッドである、確かに土が出来上がっていっているようだ
ここでの暮らしも、開拓の時代が終わり、次の段階に入ってきたのだろう
草刈りは、ある意味では大地の彫刻のようである
自然に生えてくるその命を残す場所、人間の都合で刈り取っていく場所、と彫刻を掘り上げていく
一時すれば、草花伸び、また作品課題が与えられる
この植物達の命の躍動を、感じ、暮らすことは、まるでサーフィンのようである
日々押し寄せてくるその命の波に、営みの波長を合わせていく術を、学んでいる
波に乗ったときの快感を、味わっている
それは、ここで生きるための喜びである
蔓
人間の都合で雑草と分類されるものは、地面に生えているものだけではないようだ
草刈りをしていると、石垣中段に植えた枇杷の木に藤づるが絡まっているのを見つけた
草刈りの勢いそのままに、その蔓を鍬で枝や幹から切り離し、さらに石垣の上へと伸びていっている蔓をぐいっと引っ張った
引っ張ってはみたものの、それはどこまでも続いているかのようであり、仕方がないので石垣をよじ登り、様子を伺いにいった
そこには、たくさんの藤づるが上下左右に駆け巡っており、草刈りと銘して、随分とたくさんの藤づるが収穫できた
「あ、いいこと思いついたぞ!」
ニュージランドのファームの人たちが、藤づるで素敵なバスケットを作っていたのを思い出し、腰袋を編んだ
この土地の素材でまた一つ、暮らしの道具が生まれた
◯
料理
「あぁ、畑仕事が間に合っていないから、ご飯はちゃっちゃと食べてしまおう」
と、条件反射で冷蔵庫の扉を開けてしまう
冷蔵庫に入っている野菜であれば、すぐにまな板に載せて切れば、調理出来るから
目の前の畑に、それはもう新鮮な野菜がなっているというのに
畑に野菜を収穫にいけば、土を洗って、枯れ草をよけて、となかなかに手間がかかる
それだけに、ついつい、冷蔵庫の買ってきた野菜に手が伸びてしまう
早く、畑仕事をしたいものだから
思考
畑をする理由とは、
それは、食べること
自分で育てたいのちをいただくこと
それなのに、
『いのちを収穫し、料理し、食す』
日々の苦労の結晶がついに手に入るその瞬間に
いともたやすくそれを放り投げ、
仕事という行為ばかりを追いかけてしまうのはどうしてだろう
どうにも、ぼくの思考はこのようにプログラミングされてしまっているようだ
この暮らしにあった、思考のデザインの見直しも必要だ
・
五月の晴れた日
畑に積み重ねた石の塔から、小石がカラリと転げ落ちた
晴れてよく乾燥した空気に、その音はよく響いた
カラリと落ちたその音の先に、いつかの旅先のヒマラヤの景色が広がっていた
ヒマラヤの山々、人々が祈りを込めて一つ一つ積んだ石の塔
時空を超えて、この場所にヒマラヤにつながる扉が開かれていた
ぼくは、いままで旅をして、両手いっぱいに抱え込んできた経験を
ついに、いま、ここに暮らす、この土地で、解き放っていることを知った
ここで創造し、同時にどこにでも繋がっている
今まで見た景色や、人々と交わした言葉は大きな財産である
こころに残るその微かな光が、また、この暮らしの場所で輝きを放ちはじめている
ここに暮らすことによって、いままでの旅の意味がまた変化してきている
鯉のぼりが空に舞って、7年目の暮らしの旅がはじまった
プロフィール
佐々琢哉(ささ・たくや) 1979年、東京生まれ。世界60カ国以上の旅の暮らしから、料理、音楽、靴づくりなど、さまざま なことを学ぶ。 2013年より、高知県四万十川のほとり、だんだん畑の上に建つ古民家に移住し、より土地に根ざした自給自足を志す暮らしをはじめる。全国各地で不定期にローフードレストラン「TABI食堂」 や音楽会を開催。TABIは、中米を1年間一緒に旅した馬の名前。 2016年にローフードのレシピと旅のエッセイ本『ささたくやサラダの本』(エムエム・ブックス)を刊行。
Website: http://tabi-kutu.namaste.jp/
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