top of page
執筆者の写真Saudade Books

Walkabout #7 出会い—ニュージーランド・ケリケリ(前編)(浅野佳代)

更新日:2019年10月19日



旅とヴィパッサナー瞑想の実践を通じて学んできたブッダの教え、自然の教えをテーマにしたエッセイです。




ニュージーランドの北部、ベイオブアイランズという島嶼部にある小さな町、ケリケリに行ったのは、今から5年前のこと。関西国際空港からオークランドに向かい、オークランドからは、小型機に乗り換えてベイオブアイランズ空港へ。


20席にも満たないほどの小さな機内では座席からコクピットを垣間見ることができて、機長さんたちは笑顔で会話を交わしていた。小学生くらいの女の子は乗り慣れた様子でキャビンアテンダントとおしゃべりしている。ここでは気難しい表情をしている人は誰もいない。小さな空間にもかかわらず、ゆったりとしたあたたかい雰囲気が漂っていた。ケリケリではこれから数日間のリトリートに参加する。ベイオブアイランズ空港では、一人の日本人女性が到着を待ってくれているだろう。






瀬戸内海の島で暮らして


当時の私は、瀬戸内海の小さな離島に家族とともに移住し、生活をしていた。そこでの暮らしは、田んぼと畑に囲まれた、文字通りの田舎の生活。周囲の人たちは自給自足に近い暮らしをしていた。集落にちいさな商店はあっても離島のため品数は限られていて、人口の半分は高齢者にも関わらず、元気にお米や野菜を作っている人たちが多かった。


自然豊かな場所で営まれる日本の昔ながらの生活。その部分だけを切り取ると、田舎暮らしに憧れる人たちにとっては、理想の暮らしのようにも思えるかもしれない。けれども正直なところ、当時の私には楽しいことよりも辛く感じることのほうが多かった。島に移住した初日からすでに泣きたい気持ちになっていた。友人や知人のいる都会に帰りたいと何度思ったことだろう。けれども家族で移住している身では一人でそうすることもできず、板挟みになったような気持ちで毎日を過ごしていた。


その頃、子どもはまだ小学2年生。いわゆる「子育て中のママ」の私にとっては、高齢者が半数の島暮らしは心寂しく、味気ないものに思えた。それは単に、人口が少なくて活気のある若い世代の人や移住者が少なかったからもしれないし、古い田舎の考え方や習慣に不慣れだったのもあると思う。嫁姑の因縁や男尊女卑の雰囲気も未だ残されており、結婚している女性にとっては、肩身の狭い環境のようにも感じられた。何かとお節介を焼く大家さんとの関係もうまく行っていなかった。とにかく人と人の距離感が圧倒的に近いのだ。都市に生まれ育った私にとっては、その距離感が思うようにつかめず、めまいを覚える日々だった。




それだけでなく、噂話もあっという間に広がってしまうほどの小さなコミュニティの中にいると、だんだんとまわりの目が気になってしまい、自分らしく生きることができなくなっていった。自然は豊かでのびのびとしているのというのに、次第に私の心はぎゅっと小さく縮こまっていった。そうすると目の前に広がる田んぼや畑も、すべてが悲しく灰色に映ってしまい、感謝も喜びもまるで感じられなくなってしまうのだった。人はどんなに目の前に美しいものがあったとしても、心が何かに囚われていると、その美しさが目に映らない。朝靄に一面覆われた幻想的な風景や、夕日が水平線の向こうに沈んで行く様子や、道端にひっそりと咲く季節の花々を見ても、心に届かない。その時の苦しい経験から、心の健全さがどれだけ大事なのかを身をもって知った。幸いにも子どもが学校で元気よく過ごしているのに助けられていた。


楽しい思い出も少しはあった。同じ学年の優しいママたちと仲良くなったのは大きな救いだった。一人はお寺の住職さんの奥さんで、もう一人はキリスト教を信仰しているママ。私にとって彼女たちは、本音を打ち明けられる数少ない人で、まるで仏さまやマリアさまのようでもあった。日々の暮らしで不安を覚えることが多かったけれど、だからこそ同世代の彼女たちの優しさがありがたかった。人の距離感が近いせいで、摩擦も強い反面、優しさや親切心も都市の生活では感じられないほどに深く大きなものだった。今から思うと、そういう場所に住んでそういう人付き合いをすること自体が、まるで初めての体験だったために、戸惑いが大きかったのだろう。そしてその戸惑いを解消する心の支えになるようなもの(友人や家族、趣味や仕事など)が当時の私には少なかったのだと思う。島での日々は、自分がこれまで慣れ親しんできた世界が全てではないことを知る貴重な経験であることに違いなかったが、既知の世界から未知の世界へと思い切って飛び込んだ衝撃はあまりにも強かった。





神戸でサットサン(真実のわかちあい)に参加する


そんな日々が2年ほど続いた頃、インターネットを通じてある一人の女性の存在を知った。その人は神戸に住んでおり、当時、満月の日にご自宅を解放して「サットサン、Satsang(真実のわかちあい)」なるものを開いていた。一般的にサットサンとは、主にインドなどで真理の探求の道を歩む人たちのあいだで伝統的に行われている、師と弟子たちの対話の場のことを言う。神戸の女性は師ではなく、彼女自身が真理を学ぶ生徒として、その道を歩むプロセスから得た経験をわかちあう機会を提供していた。参加費は設定されておらず、ドネーション(寄付)制で、参加条件も特になくネットから誰でも申し込めるようになっていた。インターネットで初めて知る人であったが、以前私たちが住んでいた神奈川県の葉山にその女性も偶然に住んでいた時期があるのを知って、何かのご縁を感じたのだった。


一筋の光が見え始めた。私はこの人に会いに行かなければならないと、誰に言われるまでもなく、誰の目を気にするのでもなく、自分の意思で強くそう思った。そんなふうに思うことは久しぶりだった。初めての場所なのに大丈夫だろうか、心配ないだろうか、信頼できる人だろうかという迷いはひとつもなかった。なぜならその時の私には、持っているものも失うものもほとんどなかったから。家族がいること、住む家があること、食べるものや畑があること。思いつくのはそれくらいくらいだったが、それらに感謝するどころか全く目に入らず、来る日もただ一人で悲しみに暮れていた。そしてそんな自分にうんざりしていた。自ら何かを変えていこう、行動していこうという気になるのは稀で、その時の私にできることといえばじっと座って「助けてください」と祈ることくらいだった。それだからか、その祈りの応えがようやく与えられたようにも感じた。心の深いところで願った切実な祈りが、天に届いたのかもしれないと思った。





握りしめていた手が自然に開く


離島から神戸へ。島から船に乗って対岸へ渡り、そこから高速バスで神戸へ向かった。神戸の町は眩しいほどに明るくて、太陽の光が街中をあたたかく照らしていた。六甲山が目の前に悠々と迫り、小さな私を見下ろしているかのよう。けれども威圧的な感じではなく、穏やかに見守ってくれているようでもあった。さっきまでいた島とは全然違う雰囲気だ。けれどもこの明るさは、私が長い間忘れていただけで、馴染みのある懐かしいものでもあるのを思い出していた。離島にいるときの自分は、明らかに自分らしくなかったのだろう、久しぶりに懐かしいひかりに再会できた嬉しさで心は喜びに溢れた。


初めて訪れたその場所は、真っ白で「何もない」空間だった。最小限の家具に白い床と壁、ご自宅であるにもかかわらず、生活感のあるごちゃごちゃしたものも、ヒーリングなどに使うクリスタルのようなキラキラしたものもなかった。その何もない空間に初めて身を置いたとき、心底ほっとしたのを覚えている。「何もない」というのがこれほど安堵をもたらすとは……。これまでの人生を振り返ると、ずっと足りないものを数え挙げて、その不足を埋めよう、満たそう、着飾ろうとして来たけれど、そのこと自体に疲れていたのだ。そのこと自体が苦しかったのだ。その時、初めてそんな自覚が生まれたのだった。


参加者は私の他に、二人。しばらくして主催者の女性が部屋に入ってくるとサットサンは静かに始まった。最初に10分ほど静かに目を閉じて瞑想した後、その場にいる人が一人ずつ近況などを話しながら、質問があれば主催者の女性に伺った。この場所とこの空間はたったいま、真実をわかちあうためだけにあった。だからどんなことでもその人にとっての真実であれば、ここではわかちあうことができる。話すことができる。聞くことができる。こうしなければいけないという決まりはなく、ただそこにいる誰もが落ち着いて、話したいことを話すための場所が用意されていた。


自分が何を話したかはあまりよく覚えていない。その時ちょうど食堂で働いていて、その仕事が忙しくてしんどいのと、早くやらなければという焦りが出てくることや、うまくできないと罪悪感を覚えるといった内容を話したように思う。けれども話の内容はそれほど重要でないように思えた。話し終わってしばらく経った頃から、自分の内に変化が起きているのに気がついた。さっきまで感じていた重苦しさが、気づくとどこかに消えていた。


どうやらその空っぽの場所では、私がそれまで抱えていた苦しみや焦りや罪悪感といったものは長続きしなかったらしい。それまでは「ない」ものを「ある」と思い込んで、大事に抱えていたのに、その場所では苦しみなどすっかり忘れてその場の話しに聞き入っていたら、握りしめていた手も自然に開いていたようだ。私自身が握りしめていない限り、それらは存在しないのかもしれない。この時の経験によって、私の内側が何かから目が覚めたようだった。それが私にとって、初めてのサットサンだった。


それは、いのちの「本質」との最初の出会いでもあった。そして、この本質というものをもう少し確かめたくなった。なぜ私は不必要な幻をずっと握りしめているのか、もし幻と本質との識別ができるのならば、誰かにそうしてもらうのではなく、自分もそうできるようになりたいと思った。とにかく、もうむやみに苦しんだり、悲しんだり、悩んだりするのは終わりにしたかった。そして、何か外側のものに頼る代わりに、内なる智慧によってそれを終わらせたいと思った。


数か月経って、神戸の女性からサットサンの参加者へ案内が送られてきた。秋にニュージーランドのケリケリで本格的なリトリートを開催するという。ケリケリに数日間滞在しながら、呼吸を使った瞑想や歩く瞑想をしたり、夜にはサットサンも行われる。その知らせを受け取って、私の胸は高鳴った。神戸での経験を、もう少し確かめたいと思っていた私には良い機会のように思えた。そして真実を知りたい、本質を知りたいという気持ちに素直に従うことにした。私は家族に相談して、ニュージーランドへ行くことを決心した。


(つづく)



プロフィール

浅野佳代(あさの・かよ) 瞑想と文筆。サウダージ・ブックス代表。



最新記事

すべて表示

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page