2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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なんでも食べる
なんでも食べる
なんでも食べる
見たことないものを食べる
なんでも食べる
つくったことないものを食べる
懐かしい料理
誰かの味
見よう見まねでつくる
知ってる味にならなくても食べる
おいしくなくても食べる
なんでも食べる
空腹を満たすため食べる
なんでも食べる
明日働くため食べる
さあ、その歯で
世界を噛み砕き
喉を鳴らして
歴史を飲み込め
生きるために食べる
なんでも食べる
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わたしがバンクーバーに行ったときにいちばん行った場所はスーパーマーケットだと思う。印象的な思い出も、スーパーマーケットに関するものが多い。
引っ越しの片付けがひと段落ついて、一人で買い物に行った最初の日のことだ。キュウリを買いたかったのだけど、日本で見るようなキュウリはなくて、あったのは日本のキュウリよりも3倍くらい長くて太い野菜。たしか英語でキュウリは cucumber 。値札にもそう書いてあるのに、どうしても買う勇気が出なかった。
スーパーマーケットを何周しても何を買えばいいのかわからなくなって途方にくれた。見慣れた食べものがないだけでパニックになる。食べ物がないと生きていけないのにキュウリすら買えないなんて。初日から何を食べていいのかわからなかった。
一旦うちに帰って調べてみると、それは English cucumeber という種類のキュウリだということがわかった。たしか2ドル(当時の換算レートで250円くらい)もしなかった。これくらいの値段なら失敗してもいいやと、思い切って買った。
味は薄くて、日本のキュウリより水分が少なく、歯ごたえもなかった。それからも日本で売っているようなキュウリを探し求めた。けど、日本のものと似ているけれど、形の小さい mini cucumeber や、もっと深緑色のピクルス用のものがほとんどだった。やっとアジア系のスーパーマーケットで Japanese cucumber という名前の、日本のに近いキュウリを見つけたのに、ふだん買っているキュウリよりも割高で結局買わなかった。カナダにいる間は、English cucumeber をキュウリの代用のように食べていた。
友達の茂木美月さんがつくった「体ちゃんと赤ちゃん」という小冊子がある。彼女が妊娠して子どもを生む間にいろいろ考えたり感じたりしたことをまとめた冊子だ。
妊娠中に食べられなくなったときのことについて書いた「カルピスが飲みたい」という文章の中にこんな一節があった。「かろうじて食べられるものを食べていると、自分の肉体は、関西にあるものと同時に、戦後のいろいろな西欧のものにさらされたものとして、そして、世界中に繋がっているものとして、そして、たくさんの商品の中で、また歴史の中で、生きているものとして、認識せざるをえないし、それらを、良いも悪いもなく、並列して食べながら、その次の生命につないでいくのだと思わざるをえません。(中略)体にいいからこれ。環境のこと考えたらこれ。日本人だからこの食べ物がベスト。そんな風にやっていられなく、頭で何が良いかを、考えることもなく、食べられるものを食べながら、それでも動く私たちの動線が次の命を作っています。」
彼女は妊娠して自分の体が変化したことで食べられるものを食べようというふうになったけど、わたしは海外に行って環境が変わったことで、同じような感覚を抱くようになった。日本にいた頃は食べ物にこだわるということは圧倒的に善だった。だけど、海外で暮らす上では、その態度を一旦棚上げしないといけなかった。
バンクーバーに行く前の2014年前後のことを思い出すと、東日本大震災とその後の原発事故の余波が社会に色濃く残っていて、産地にこだわったり特定の食品を避けたりするような雰囲気があった。また、SNSを利用する人が増え始めて、さまざまな食事に対する意見や食事法がシェアされてはブームを作り出し、しばらくすると消えていった。その流れに巻き込まれるかのように、わたしも砂糖を減らしたり白湯を飲んだり肉を食べないようにしてみた。
だけど海外に行って、ふだんの食が満たされてないと、そういうことにまで考えが至らないことに気付いた。例えば、新しい土地では食べ慣れたものを探すことが第一目標だった。それを見つけられなければ、食べられるものを食べなければならなかった。毎日が戦いのような、冒険のような気分で、スーパーマーケットに行ってはいろんな食材にチャレンジした。
シイタケ代わりにマッシュルームを使ったり、カナダでは生で食べることの多いケールをゆがいておひたしにしたり、足りないものを代用したり、見たことない野菜を日本風に食べてみたりした。たいていはうまくいったけど、失敗もあった。
かぶの代わりにビーツを買ってみそ汁に入れたときのことだ。ビーツはボルシチにも使われる赤い野菜で、煮込むと汁も赤くなる。においや味に敏感な夫は、どうしてもビーツ独特の酸味が気になるという。結局わたしが全部食べた。しかも、その後何日か血尿のようなものまで出た。何かの病気かもと真っ青になって調べてみたら、なんのことはない、分解できないビーツの色が尿と一緒に出ただけだった。
どうしても代用できないものもあった。ゆず、すだち、サンショウ、ミョウガ、青じそなど、日本の特有の香りのもの。わさびはホースラディッシュで代用できたけど、それ以外は見つけることができなかった。日本でだって香り付けや薬味として少量しか使わないのだから、海外だったらなおさら需要がないだろう。
土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』に、日本料理の特徴にこういった薬味類を挙げていた。お吸い物、ソーメン、酢の物、冷や奴、そのままでも食べられるけれど、薬味がないとなんとなく物足りない。
こんなに一瞬でレシピを調べられ、世界中の隅々にまで食材が行き渡る時代でも、再現しきれない細部があることに驚いた。
読めない表示、見たことない野菜や果物、日本とは違う単位や規格。最初は気になることばかりで、一つ買うのにもおっかなびっくりだったけど、なんとなく味が想像できるようになると、いろんなものを買うようになった。タイ語のカレーペースト、インドのタンドリーチキンの素、地元の中華系の企業が作る冷凍シュウマイ。作り方がわからなくても材料も読めなくても食べた。食べられるものを増やしたいという必要の方が勝った。買い物する場所も増えた。最初はスーパーマーケットだけだったのが、だんだんと地元の八百屋や魚屋、肉屋でも買い物できるになった。そうやって、食べられるものが増え、行ける場所が増えるに従って、自分がこの国になじんできているという実感を持てるようになった。
カナダにいる間は、文字通り食べることに必死だった。毎日食事のことを考えていた。あの、毎日が戦いというような気持ちは多分、カナダになじもうという必死さだったのだろう。最初は家しか居場所のなかったわたしにとっては、この国を知る手がかりは食べ物だった。食べることで、この国を知って、なじもうとしていたのだった。
参考文献
茂木美月『体ちゃんと赤ちゃん』(私家版、2017年)
土井善晴『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、2016年)
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが発売中。
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