2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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暦
めくれめくれカレンダーめくれ
どこにあるのか
わたしの記念日
いつまでも忘れないため
みんなで休む
誰のためか知らないのに
みんなで祝う
今日も明日も記念日だらけ
どれもわたしと関係ない
めくれめくれカレンダーめくれ
印はなくても
今日が記念日
ケーキを食べてお酒を飲んで
山ほど買い物しよう
白い花をたくさん買って
お墓参りに行こう
思い立ったらその日が記念日 今日が何の日だっていい
めくれめくれカレンダーめくれ
自分の中の特別な日を
真っ赤な色に塗りさえすれば
わたしのために
誰かのために
365日の中に
燦然と
一日輝く日があればいい
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当たり前のことだけど、違う国に住むとカレンダーが変わり、日本のリズムから、カナダのリズムで生活することになる。
カナダにいたときに、天皇の生前退位がニュースになった。昭和の終わりをおぼろげに覚えているから、天皇の代替わりがいかにビッグニュースかと驚くはずなのに、「平成」が終わることをどこか遠い国のニュースのように聞いた。
イギリスの旧植民地で構成されるイギリス連邦に所属するカナダの首長はエリザベス女王。天皇のいる国から、女王のいる国へ。当然、元号を使わない。
池田浩士さんの『子どもたちと話す天皇ってなに?』という本によると、日本の祝祭日は天皇制に由来するものがほとんどだそうで驚いた。カナダにも5月のビクトリア女王の誕生を祝うビクトリアデー、7月1日のカナダデー、11月の2つの世界大戦の戦没者追悼記念日であるリメンバランスデーといった国家の行事はあるけど、全体の半分くらいだ。
それよりも、カナダはどちらかというとキリスト教に関する行事が祝日のメインだ。春はイースター、秋は感謝祭、冬はクリスマスが大きな行事。これに休みじゃないけど、ハロウィンも加わる。
クリスマス、ハロウィンくらいは日本でも多少なじみがあるけど、ほかの行事は何をするのかさっぱりわからない。バンクーバーに住んだ最初の年に近所のコミュニティセンターでやっている英語教室で、感謝祭には七面鳥(ターキー)を食べるらしいと聞いてきたわたしは、さっそくスーパーの総菜屋さんで買ってみた。けど、思ったよりもパサパサして口に合わなくて、それ以降はスーパーに並ぶターキーやソース用のクランベリーを横目で見るだけになった。
クリスマスもハロウィンも日本では商業イベントという感じだけど、カナダでは家族の行事で、よそ者や独り者には少し寂しさを感じる季節だ。最初の年のクリスマスには1人で寂しいだろうからと、夫の同僚のスペイン人のFくんも招いていっしょに食事をした。カナダではクリスマスのごちそうに、チキンはターキーよりもランクが劣ると聞いて、そんなことはちっとも気にしない様子なのにFくんに「わたしたちはターキーになじみがなく、鶏肉が好きなのだ」と必死で弁解しながらいっしょに日本式にチキンの丸焼きを食べた。
2年目の感謝祭では、「ちゃんとしたターキーを食べたことがない」と言うと、近所に住む日本語教師のMさんが、「うちでタダーキンを焼くから一緒に焼きましょう」と招待してくれた。タダーキンは北米の若者に人気の料理で、パサパサしているターキーを、あひる(ダック)とチキンの脂でジューシーに仕上げるのだ。
みんなが休んで特別な料理を食べているのに、一人、あるいは自分たちの家族だけいつものものを食べているのは取り残されたような気持ちになる。だから、こんな風に声をかけてもらえるのはありがたいことだった。
日本にいると一つのカレンダーで生活するのが当たり前に感じられていたけど、カナダではそうじゃなかったのも面白かった。
カレンダーとは関係なしに、いろんな宗教、いろんな民族、いろんな文化で自分の行事を祝う人たちがいた。カナダの文化の基底にあるのは、キリスト教や西洋文化ではなく先住民の文化。先住民には先住民で民族独自の行事がある。それから、「メリークリスマス」のあいさつは、12月にハヌカを祝うユダヤ教や、クリスマスを祝わないイスラム教などの宗教的多様性を守るために、「ハッピーホリデー」のあいさつにとってかわられてきている。中華系の移民が多いバンクーバーのブリティッシュ・コロンビア州では、公称は「ファミリーデー」という名で実質は旧正月のための祝日が2月にある。
日本じゃビッグイベントのお正月だって、カナダじゃクリスマス休暇最後の日に過ぎないし、同じ正月と言っても旧正月を盛大に祝うアジアの人たちとも違うから影が薄い。そうやって、カナダでカナダの標準的なカレンダーからちょっとずれた暮らしをしているうちに、カレンダー通りに休むことの方が変なんじゃないかなんて思うようになった。
世界にはいろんなカレンダーがあるのに、日本にいると一つのリズムで生活することになるから、それを忘れそうになる。日本は祝日の数が多い割に、祝日以外に休めない雰囲気がある。カナダだとクリスマス休暇もサマーバケーションも長くて、個人で休みを取ったりしている。でも、日本だと国のリズムでみんな一斉に休むから、休みでさえ国に管理されているような感覚がある。
『モモ』にも書いてあったけど、人を統治するのにいちばんいい方法は時間を支配することだ。そもそも暦は星の動きや自然のリズムを知ったり、農作業に役立てるためのものだったのが、人の統治のために使われていった。だから、祝日や記念日が増えることは国家の時間管理が増えることとも捉えられる。
ときどき、そこから抜け出して暮らせないものか、なんて夢想する。
月の満ち欠けがついた「MOON CALENDAR」というカレンダーを作っている知り合いがいて、毎年これじゃないとという人が何人もいるそうだ。ほかにも太陰暦や農事暦、潮の満ち引きがついているカレンダーも人気があるようだ。そういったカレンダーも、自然のリズムを身近に感じ、一元的な時間の管理から抜け出す方法なのかもしれない。
『ドラえもん』のネタで「日本標準カレンダー」という話がある。自分の好きに休日を作れるカレンダーだ。のび太はそれを使って、休みがない6月に祝日を作る。その名も「ぐうたら記念日」。
みんな自分の記念日をもっている。そして、自分の記念日と同じくらい人の記念日だって大切なものだ。そういう他人や自分の中の記念日も大切にしながら生きていきたい。それがたとえぐうたら記念日であったとしても。
わたしも、のび太のような心意気でやっていきたい。
参考文献
池田浩士『子どもたちと話す天皇ってなに?』(2010年、現代企画室)
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが発売中。
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