伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』
ヨーロッパは退屈だ。僕は過去に2回、ヨーロッパに行ったことがある。しかし、2回とも見事に空振りした。最初に行ったのは、確か2007年くらいの冬、9日間の予定でフランスとオランダだった。それまで、アジアには行ったことはあったが、今回は初めてのヨーロッパ、そこには何が待ち受けているのだろうか。
僕はワクワクしながらシャルル・ド・ゴール空港に降り立った。空港につくと、電車がストライキで止まっていた。これが噂のフランス名物ストライキか、と胸を躍らせたものだ。仕方なくオペラ座行きのバスに乗り、近くにある、予約しているホテルまで歩いた。僕は、街を歩くのが好きである。当然、街並みを見ながらになるのだが、パリの街は、東京のようにカオスではなく、なんというか、確固たる哲学と美学がある。
そこまではよかった。しかし、4日間パリでぶらぶら過ごしたのだが、何も起こらない。驚くほどまでに、何も起こらないのである。アジアではありえない。旅の醍醐味は、ハプニングと出会いである。成熟した街では、旅人なんか誰の視界にも入らない。よく言えば、放っといてくれる。悪く言えば、関わりたくないという感じ。
煮え切らないまま、高速鉄道タリスで、オランダはアムステルダムに向かった。で、アムステルダムでも何も起こらないのである。唯一起こったことは、コーヒーショップに行ったとき、いつの間にか背中にレッドブルのステッカーを貼られていたことだけだ。全く気づかなかった。酔っていたのだろうか。
2回目は、去年行ったイタリア。年末に行った。何かあるだろうと思って行ったのだが、何もなかった。僕は街をただひたすら歩いたが、店も少ないし、誰も話しかけてこないし、僕から話しかけても、反応が薄いし、さんざんだった。
結論としては、ヨーロッパは、放浪には向かない。ベタな観光をするのが一番楽しめるということだった。パリでは、モンサンミッシェルもベルサイユ宮殿にも行かなかった。
伊丹十三がなぜ『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫、2005年[文藝春秋新社、1965年])というタイトルをつけたのかは、もう直接聞くことはできないし、また伊丹十三とぼくとでは時代が違うので、なんとも言えない。が、僕が旅した時期も悪かったのだろう。ヨーロッパの冬は空がいつも暗くて、寒い。ヨーロッパの冬の孤独は特別なものだ、と沢木耕太郎も書いていた。僕は、やはり南国が合っているのだろう。
孤独なのは日本だけで十分だ。
プロフィール
神田桂一(かんだ・けいいち)ライター、編集者。1978年、大阪生まれ。東京・高円寺在住。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(菊池良との共著、宝島社)。ウェブメディア『DANRO』で「青春発墓場行き。」を連載中。現在、初の単著を執筆中です。
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