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執筆者の写真Saudade Books

Hello folks #1 あいさつと身分証(太田明日香)

更新日:2019年10月19日



2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。





あいさつと身分証

Hello folks

やあ 呼びかけてみる

見知らぬ人に


それだけじゃ友達にはなれない けど それでもいいから 呼びかけてみる


やあ

目があって 微笑みあえば

もしかしたら 友達になれるかもしれない

やあ 呼びかけてみる 旅する人に


そのとき限りの出会いかもしれない けど それでもいいから

呼びかけてみる


やあ


うなずきあって 言葉を交わせば

このまちを また訪ねてくれるかもしれない


やあ 呼びかけてみる 世界中の人に 言葉なんてわからないかもしれない けど それでもいいから

呼びかけてみる


やあ


とまどっても 声をかければ

その時小さな 居場所ができるかもしれない

やあ

少し勇気がいるかもしれない けど

呼びかけてみよう 自分がかけられたように

ここにいてもいい 一人じゃないと

思えるように


呼びかけてみよう

いつかの自分に声をかけるように


やあ





去年の冬、『希望のかなた』という映画を見た。ちょうど2年近くのカナダ滞在から帰国して1年ほど経ったときのことだった。

アキ・カウリスマキが監督したフィンランドの映画で、シリア難民についての物語だ。レストラン経営をする初老の男がシリアから来たカリードという青年と出会い、自分の店にかくまう。映画はコメディタッチだが、カリードが難民申請のための面接で語るフィンランドにいたるまでの道のりや、排外主義者から受けるいわれのない暴力といったエピソードから、難民の苦境が伝わってくる。


映画の中で「あっ」と思ったシーンがあった。石炭を運ぶ船でフィンランドに密航したカリードは、着いてまず警察に行って難民申請をする。カリードが窓口でおずおずとパスポートを差し出す。警察官の指示は、「横」とか「ここで待て」とほとんど単語。おそらくその警察官本人の英語が下手なせいか、難民が英語を理解するとは思われていないせいだろう。カリードは、滞在許可を得られて、言われるがままにサインする。


似たシーンを、わたしもよく覚えている。国境を越える時だ。





2015年4月、夫の仕事で2年間カナダに住むため、バンクーバーの空港に降り立った。観光や短期滞在での入国と違って、長期滞在の場合は入国審査のあと、空港にある移民局に行かなければならない。


長い行列が続く入国審査とはちがって、移民局は閑散としていた。10時間あまりのフライトで、体はくたくた。友達や家族に別れを告げて、日本を出発したばかりだったのに。出発する時は海外に住むなんて全然実感がわかなかった。初めての海外ぐらしに不安を抱きつつも、結婚したての夫とちょっと長いハネムーンに行くような、浮かれた気分だった。


けど、審査を待つ間、もし追い返されたら? 書類に不備があったら? といろんな不安に襲われた。「いつまで働くの?」「どこで働くの?」「あなたたちの関係は?」。職員にいくつかの質問をされた後、ようやく手続きが終わった。もちろん、事前に人から、移民局での質問は形式的なもので、普通に手続きをして受け答えしていれば問題ないと聞いていた。でも、国境を越える時は不安で緊張する。ここを越えなければ何も始まらない。手続きを済ませて、ようやく住むという実感がわいてきた。


カリードのような難民の場合は、正式な出入国の手続きをしていない場合が多いし、元の国に送還されると命の危険にさらされる可能性もあるから、その緊張はより大きなものになるだろう。


ただ、難民にせよ正式な手続きによる移民にせよ、共通するのは生まれた国とは別の国で生きるということだ。海外に住むことはよく「異文化体験」と一言で片付けられがちだけど、実際はどういう経験なのだろうか。


第一関門は国境を越えることだ。そして、パスポートや身分証は、そこを通過していい、そこにいていいという許可証だ。それを手に入れれば、今までとは全く違うルールで生きることになる。ただし、滞在中はそれにまつわる一連の手続きや義務を忘れてはいけない。そして、そのことが常に頭の片隅にある。許可証を肌身離さず携えて、ここにいていいか常に気にしなければいけないことが、外国で暮らすことだ。それは、日本にいたときとは決定的に違う「外国人になる」経験だ。


「自分が外国人になる」というのは、マイノリティになる経験でもある。たとえどんなに地位やお金のある人でも、手続き一つ間違えば、法律一つ変われば、住んでいる国から強制的に出て行かざるを得ない。だから、普通に生活していたっていつも心のどこかに緊張感がある。マイノリティであることは、社会から見えない存在とされることだ。


「外国人を受け入れる」、これも紋切り型の言い方だけど、どうやったらそうしたことになるのか。いちばん単純なことは、たとえ言葉がわからなくても、そこにいることを無視しないことだろう。その一つがあいさつだと思う。


カナダでは空港でも役所でも店でも「Hi there」や「Hi guys」と声をかけられた。日本語にすると、「やあ」といったところ。親しみを込めた笑顔や挨拶が北米特有の人付き合いのマナーで、表面的なものだと揶揄されがちなものだったとしても、それに救われた。


たとえ正式に手続きをして滞在には法的にはなんの問題がなくても、やはり紙切れ一枚で自分がその国に受け入れられたなんて到底思えない。だから、滞在中、知らず知らずのうちに緊張感を伴って生活しているなかで、人からかけられたそういうささいなあいさつが身に染みた。「どこから来たの?」「日本です」「わあ、いいわね、行ってみたい」。下手な英語でも少しずつ話すうちに、少なくとも、この国の人たちはわたしたちに「帰れ」と追い出すようなことはしない、と信じられるようになった。話しかけられることで、自分がカナダに迎え入れられたような気がしたのだ。しばらくの間はここにいていいと、許されたような気がして。


この連載では、身分証やあいさつといった、カナダ滞在の2年のうちに経験した小さな出来事から、帰ってきて感じた日本とカナダの違い、「外国人になった経験」や「外国で暮らすこと」を描いてみたいと思う。タイトルは「Hello folks」。「Hello folks」は「Hi there」や「Hi guys」の書き言葉だ。 





文章を読むことは、その人の世界に入ることだと思う。読む前に、難しそうとか、怖そうとか、面白そうとか、いろいろな不安や期待がある。だからわたしも、読者のみんなに「やあ」と呼びかけたい。


「入り口はいつでも開いています」と。



プロフィール


太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが発売中。




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