2年間のカナダ滞在経験から「外国で暮らすこと」や「外国人になること」を考える詩とエッセイの連載です。
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2メートルをこえる時間
今一番遠いのは手を伸ばせば届く距離
2メートル
あなたの顔は見えるけど
あなたの声は聞こえるけど
あといっぽは許されない
昨日から今日、今日から明日
時間は引き伸ばされ
昨日は今日の続きではなく、
明日は今日の続きではなく、
日付変更線をこえたときのように
今日の繰り返しのただなかに放り込まれる
2メートルをこえる時間
引き伸ばされた今日の中
あなたの顔は見えるけど
あなたの声は聞こえるけど
明日が来ても
この距離は変わらないままか
日付変更線は
留め置かれたままでは見えず
そこにいたるまでの航路も見つからない
今一番長いのは来ない終わりを待つ時間
2メートル
あなたの口元が見えるまで
あなたのぬくもりに触れるまで
引き伸ばされた今日のただなかで
手を伸ばせばすぐそこに
あなたのぬくもりがあり
あなたのにおいがある
それは明日
それこそが明日
明日が来れば
2メートルはこえられるだろうか
日付変更線を
留め置かれた今日の終わりに
くっきりとなんども引き直せば
手を伸ばせばすぐそこに
あなたのぬくもりがあり
あなたのにおいがある
そうすれば
そこが明日
それこそが明日
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「すべての距離はそれをこえる時間に換算される」
詩人の石原吉郎が戦後戦後抑留されていたシベリアの捕虜収容所(ラーゲリ)から日本までの3000キロを帰還するのに要した時間は2日あまり。その、2日あまりで行ける距離を、石原は捕虜であったために収容所に留め置かれ、また法律や組織や制度に阻まれて、こえるのに8年もかかった。
この文章が収められた『望郷と海』をはじめて読んだのは、2015年4月から2017年3月までの2年近くをカナダのバンクーバーで過ごしたときだった。たまたまツイッターで石原の詩の一節が目に留まり、その文章の硬質さに惹かれ、本を探した。幸運にも海の向こうでも今は電子書籍さえあれば日本語の本を手に入れることができる。石原の文章は何か自分に必要なことを言っていると直感し、貪るように読んだ。ちょうど、滞在して1年が過ぎ、生活に慣れた一方でだんだん日本とのつながりが失われるような気持ちになっていた頃だ。
そのころの自分は、だんだん日本のニュースに関心が持てなくなってきていた。そのように日本から関心が離れる自分のように、自分も周りの人たちから忘れられていくのではないかという恐れを抱いた。日本を離れた日数に比例して、毎日少しずつ日本から引きはがされていっているような不安があった。
石原の経験したことは、捕虜となって日本から切り離され、違う時間の流れに放り込まれることだった。わたしは石原に比べると天国のような境遇にいたが、それでも、日本から切り離され、違う時間の流れにいたという経験をした石原の文章に、似たような不安を感じ取ったのだった。
これまでの歴史の中で、様々な集団や個人が差別や戦争や病や制度によって周りの集団とは違う時間の流れ中に留め置かれることを、様々な集団や個人が経験してきた。しかし、今起こりつつあることは、それとは少し違う。人間全体が、ウイルスという自然によって、引き伸ばされた時間の中に留め置かれようとしている。
「すべての距離は、それをこえる時間に換算される」という石原の言葉通りなら、はるか昔、世界をこえる距離は途方もない長さだった。人類は、6万年かけて徒歩でアフリカから全世界へ広がっていったという。だから、世界は6万年分の距離だった。ところが現在、それはあっと言う間に短縮され、世界は狭くなった。そして、その縮んだ世界でわたしたち自身がウイルスの乗り物となり、またたくまに拡散されたことによって、世界の距離はまた変わりつつある。距離をこえる時間は長くなっただけでなく、国々はゲートを閉め、あるいは乗り物自体が運休し、距離をこえる手段が失われ分断もされつつある。見えない壁や超えられない壁がいくつもある世界で、さらにわたしたちは今、同胞である「人」からも距離を必要とされている。その距離2メートル。互いに手を伸ばせば届くはずのその距離が、一番遠い。
石原はこうも言っていた。「すべての距離は、それをこえる時間に換算される」が、いつ戻れるともわからない場合それは、時間との「換算を禁じられた距離」になると。収束が見えない今、この2メートルは石原が留め置かれたのと同じ「換算を禁じられた距離」だ。人びとは簡単に手が届く距離なのに近づけないというジレンマの中に留め置かれ続けている。その距離をこえる手だてはまだなく、近くは遠いまま。2メートルをこえるのに、これからどれくらいの時間がかかるだろう。
石原がシベリアにいる間望んだのは、海を見ることだった。望郷の思いはその一点に結実された。それはおそらく、その距離を待つ時間が長すぎて、海をこえて日本にたどり着くことや、具体的に日本にいる人やものを思い浮かべることが難しかったからではないか。だから、海さえ見ることができれば帰れる可能性が高まると、日本に帰る一歩前の段階をまずは希望としてもつことにしたのではないだろうか。日本へ帰るという望みをダイレクトにもてば、かなえられない現状との落差に精神が平静ではいられなくなる。だから、石原が海を望んだのは極限状態における防衛本能のようなものだったのだと思える。
いつ終わるかわからない状態に留め置かれ、引き伸ばされた時間の中で、具体的な望みを持ち続けるのはきつい。換算を禁じられた距離を待ち続けるうちに、時間は次第に平板となり、のっぺりとし始める。そして、だんだん終わりが見えないことに耐えられなくなる。すると、禁じられたことをしたり、やけになったりして、罰せられたり、ひどい時には命を落としたりもする。だから、今私たちに必要なのは、石原にとっての海のようなもの。非日常を日常として過ごす支えとなるようなもの。
しかしそのような支えを持つことは危険と表裏一体だ。石原は帰りの船でやっと夢にまで見た海を見、そして、あれほど望んだ海を目の前にして失望する。この海を見るまでに要した8年という時間の長さに虚脱し、ただ脱力し、疲労を感じる。
その疲労とはなんだったのだろうか。2日あまりでこえられる距離に8年も要したことへのやるせなさか、望みがかなったことに虚脱したのか、戦争が終わった実感から気が抜けたのか。そういった言葉では表せないほどの思いが疲労となって体にのしかかった。希望がかなえられた時、現実と期待との落差に精神が耐えられなくなることがある。石原が感じた疲労は、希望がかなった後にくる精神的ショックのようなものだったのではないか。
わたしたちがつい半月ほど前まで知っていた、人との距離や集まり話す時間。感触、体温、匂い。それらがきっと元どおりになると思うことは希望になるだろう。しかし、その楽しさや喜びをまた味わえると過度に期待することは、果たしていいのだろうか。それに、今この生活で距離を取ることに慣れたわたしたちが再び元の生活に戻れるだろうか。元どおりになると過度な期待を抱きすぎることは、今の状況が終わった時に、もっと大きな虚脱や精神的な危機を招くことになりはしないか。だったら、わたしたちが支えにするものは何か。
非日常は始まったばかりだ。その非日常は、いつか来る終わりを待つような種類のものではない。元どおりになる、あるいは理想の世界に近づく一歩と過度な期待や憧れを抱くことも、デストピアの始まりだと悲観的になることも、どちらも現実を正確には捉えないだろう。虚脱や精神的な危機が理想や期待と現実との落差によって起こるなら、必要とされていることはこの日々を非常時と捉え緊張状態ですごすことでも、一時のことだと特別視してすごすことでもない。この新たな日常を過ごすいつものペースをつくりだすことだ。
プロフィール
太田明日香(おおた・あすか) 編集者、ライター。1982年、兵庫県淡路島出身。著書『愛と家事』(創元社)。連載に『仕事文脈』「35歳からのハローワーク」。現在、創元社より企画・編集した「国際化の時代に生きるためのQ&A」シリーズが販売中。
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